2013年7月28日日曜日

食事開始時に 『合掌』する? しない?



あなたは食べるとき、手をあわせて(合掌して)いただきますと言う?


…私自身には、そういった習慣はない。



欧州ではよく、日本人を見ると、合掌して挨拶する人がいる。(これは食事時ではなく、挨拶としてだが。)





海外で合掌しながら挨拶されたら、『合掌して挨拶する国は、タイ国やインドなどであり、日本では一般ではない。』と、説明している。


そして『日本では一般的に、握手はしない。 ハグもしない。 合掌もしない。 だが”お辞儀”をする。』と付け加える。




しかし、日本でも、食事開始時に合掌して『頂きます』というのを見たことがある

テレビのアニメなどでも見た記憶がある。


合掌というのは、宗教から来たものだろうか。

カトリック教徒などが食事時に十字を切るようなものなのだろうか?
挨拶時に合掌するタイも仏教国。
インドなども現在では仏教国ではないが文化的に近い。
やはり、仏教から来た習慣だろうか??


…『食事 いただきます 合掌』 などのキーワードで検索していると、楽しいページを発見。

いただきますする。


アンサイクロペディア的なページ(??)で、ユーモラスに、また詳細に書かれたものである。
楽しませてもらったので、書かれた方に感謝の”合掌”を捧げる。
いただきます論争 というまとめも読ませて頂きました。このサイトは他にも色々興味深い記事が多かった。まとめてくれた方に感謝。


…仏教が関係しているらしい。東日本では少ないらしい。
西日本では合掌する家庭が多い、というのは、本当なのだろうか?
私の知り合いでは一人だけいたが、四国出身であった。


日本で合掌という行為が異文化と感じているのも、私だけではないらしいと言う事はわかった。

日本には色んな文化や方言がある、というわけだ。


ここは一応料理ブログなので、食事の基本に関する疑問として書いて見た。



…そういえば、死者に語りかける時に、墓や仏壇などに向かって手を合わせる光景には違和感を感じない。 それは死者相手だから文句を言えない雰囲気を感じるからなのだろうか?自分的にはそんな気がする。

焼香のときにも。やはり仏教的なものなのだろうか。
神道では柏手を打つ(これにはなぜか違和感を感じない)


”死んだ生き物が自分の命に変わっていく。自分の体になる。”

…こう考えると、原始宗教的というかなんというか。


私のように『いただきます』するときに手を合わせることが習慣ではない場合、食事開始時に合掌することに違和感を感じるかもしれないけれども、食べ物と作物を作った人、自然に対する感謝は、人間ならば誰でもあるわけで。(金の問題にしか捉えない人もいるかもしれないが)
私もいつも、心の中では、ふつうに感謝しながらいただく。

10年以上哺乳類をまったく食べなかったが、現在は、いただきものであれば、(心の中で)そのひとに感謝し、(心の中で)死んだ動物に謝りながら、再生の儀式のようにしていただく。(自分では購入しないが) が、宗教は、全然関係ない。
…こう書いてみると、なんだか私が原始的な感じがするじゃまいか!笑
ていうか、こういう宗教ビジネスでも始めようかしら。 笑  もちろん冗談。



『おてんとさま(太陽)OR 農家の方、OR 料理人に感謝』 という方が、もっと日本的な感じがする。
行き過ぎだと思うのは『アタシが金払ってるんだから…』である。
あのですね、お金で買っている作物は、印刷機で簡単に刷ることはできないのです。
多少のお金があれば、完全に健康維持ができる、というわけでもない事は、2013年現在の日本人は痛感していることと思います…。 
お金ばかりにとらわれていると、安全管理がおろそかになります…。
安全管理がおろそかであることが公になれば、信頼も失う。信頼を失うことは、その場だけの経済よりも大変な損失である…。
しかも、”その場しのぎ”の姿勢が招いた損失は、”長期間”続いてしまう。
『水に流す』と、他国に漂着してしまい、これまた非難される…。(これ以上は言うまい。)



日本では、食事開始時に合掌する姿を、テレビでも普通に見せているのに、なぜ私やその他の人は、食事時に手を合わせる事に違和感を感じるのか。 自分がその行為をすることに違和感を感じるのか…。

…ちょっとしたミステリーなのである。 (日本という国はミステリーで溢れている。)


ではまた!








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